私の履歴書
経験から学ぶ
学生時代
ジュニアデザイナーの要素はカメラから学ぶ。音楽イベントを通じて楽しさを知る時代。
中学生の時に、親が買い与えてくれた中古のカメラをおもちゃ代わりによく写真をとって歩いて回ったが、ある時、遊びに来た親戚の幼い子を収めたスナップ写真を旺文社の学芸コンクールに投稿すると何と写真の部門で日本一となり、母親とともに東京の表彰式に招待されたことが思い出深い。
大学受験では、地元より東京という思いで、東京市谷の法政大学に進んだが、中学、高校時代にギターをつま弾くようになり、体育会系の剣道部に入るのを断念して、演奏旅行の楽しみのある軽音楽部に入り楽しく且つ有意義な4年間を送ることができた。
現役時代
イベント企画・報道によるパブリシティーに目覚める広報マンとして
東京の大手町のビジネス街で勤務した時代はサンケイ会館や逓信博物館界隈から少し歩くと皇居前の公園や東京駅付近もよく散策して昼休みのひと時を楽しんだ。
仕事では企画部門の仕事で、ある時期には広告宣伝仕事に携わりクリエイティブ感覚と感性を深めて私の人生の骨格が出来上がったと考えている。 事業サービスや個別商品のPR企画、ポスターやチラシ・パンフレット作製などの広告宣伝の仕事はその後の私の仕事にも大きく影響している。
転勤で、職場が東京から九州に移った後は、東京で培った広報担当としてのノウハウを生かし、各種イベントをこなし、赴任先では地域対策等で自治体との連携や街づくり企画などにも参加。退職後はNPO法人か一般社団法人を立ち上げて地域貢献・社会貢献事業をやりたいと考えていた。
人生100年・生き生きセカンドライフの時代へ
多くの経験を生かしてフリーランスデザイナー、そしてライフデザイナーとして」
退職後に宅建士の資格とともに行政書士の資格を取得し、仕事で人生100年時代の生き方を考え、地域支援、高齢者支援にウエイトを置いた士業活動を行いながらもいくつかの会社に籍を置いて働いた。
退職して数年後に血液のガンにかかり、入退院を繰り返す中で「私の100年プランノート」を自費出版してサードライフを見通した中での人生デザインの追及に力を入れている。
令和2年念願の一般社団法人を10人の仲間とともに設立。その後、現在の合同会社MAKI百年ライフデザイン企画オフィスを立ち上げた。これを機会に本の出版で既に立ち上げていた「百年プランノート企画研究所」を合同会社に組み込んで活動している。